#199「子どもたちの未来を切り拓こうとした教育者」無着成恭

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第199話

無着成恭(1927〜)
禅宗の僧侶にして教育者

1927年、山形の沢泉寺に無着成恭は生まれました。山形師範学校を卒業後、無着は山形の貧しい寒村の中学校に教員として赴任します。ここで過ごした6年間、彼は子どもたちに作文を書かせることで生きる力を身につけさせようとします。徹底的に作文を添削し、村の貧しい暮らしを客観的に見つめる目を養わせようとしたのです。「うちは貧しい」ではなく「なぜ貧しいのか」「どうすれば貧しくなくなるのか」ということを無着は子どもたちに考えさせました。

子どもたちが書いた作文は学級文集となり、やがてその中の『母の死とその後』(江口江一作)が注目され文部大臣賞を受賞するにいたったのです。『母の死とその後』は貧しい家で、働いても働いても楽にならなかった母の死を見事に描写した作文。やがて、この作文を始め学級文集から選抜編集された『山びこ学校』が書籍として1951年に刊行されベストセラーとなったのです。

1952年には今井正監督によって映画化もされ、無着成恭は一躍時の人となります。しかし、子どもたちの秀逸な作文は、貧しい村の恥をさらしたものだという地元の声は激しく、無着は首謀者として村を追放されてしまいます。

以降、無着は学校教育に携わりながら、ラジオ番組『全国こども電話相談室』の名回答者としても親しまれました。宇宙とあの世はどっちが遠いんですか?という子どもからの質問に無着は「あの世は一度行ったらかえって来られないでしょ?宇宙からは帰ってくるよね。だから、あの世の方が遠いんだよ」と答えました。また、心はどこにあるの?という質問には「どこかな?頭?違うよ、あそこは計算機。心臓?違うね、あそこはポンプ。先生はね、足の裏の凹んだところ、土踏まずに心があると思うんだ。ちょっと押してごらん。ちょっと痛いけど気持ちいいでしょ?ときどき押すと身体にもいいの。そして、普段あなたにも見えない。足の裏だからいつも踏んづけてる。でも、あなたをグーンと支えてくれているんだよ」と答えました。

2009年、『山びこ学校』を生まれた中学校は閉校となったが、新たな施設として生まれ変わるそうです。そして、その跡地には『山びこ学校』の石碑があり、『きかんしゃの子どもわいつもちからを合わせよう」という無着が学級文集の冒頭に記した言葉が刻まれています。

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