#21「鉄路の先に夢を見た男」小林一三

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第21話

小林一三(1873年〜1957年)
阪急東邦グループの創業者

小林一三は阪急電鉄の創業者として知られている人物です。では、彼はどのように阪急電鉄を成功へと導いたのでしょう。

大学を卒業後、銀行勤めをしていた小林ですが、大阪支店に勤務していたころには、趣味の小説を書いたり、夜は花柳界に通うような趣味人であったと言います。そんな小林は、縁あって阪急電鉄を任されるようになってからも、単に銀行の収支を考えるのではなく、どうすれば乗客が増えるのか、ということを一生懸命に考えました。

1910年(明治43年)に小林は箕面に動物園を作りました。さらに翌年には宝塚に大浴場を作り、1914年(大正3年)には宝塚唱歌隊、後の宝塚歌劇団を旗揚げしたのです。宅地開発も進め、やがて阪急電鉄は遊びに出かける人たち、そこに住む人たちの足として、発展を続けることとなりました。

鉄道を敷くだけではなく、その先に魅力的な場所を作り出す。その発想が、やがて私鉄各社の模範となったのでした。ターミナル駅に百貨店を建てる、という発想も小林のもの。1929年(昭和4年)には阪急百貨店をオープンさせました。

もともと百貨店は呉服屋が発展したものが多かったのですが、小林は「素人だからこそ気付く商機がある」として、多くの集客に成功したのです。大食堂を建物の最上階に配置して、飲食に来たお客様がそのまま下の階で買い物をして帰るという動線を考えたのも小林でした。

その後も、遊園地、映画や芝居などの興行、宅地開発、ホテル、球団経営などなど……。すべてが小林一三が鉄路のその先を夢見続けた結果だったのです。しかも、その多くは「常識的に考えると、無謀だ」と計画当初は反対されたものばかり。しかし、小林は果敢に挑戦しました。誰もやったことがないことだからこそ、小林一三は本気で取り組むことが出来たのかもしれませんね。そして、いまや、当時の非常識は、小林一三の英断によって、世界の常識になっているのです。

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