世界を動かした非常識人列伝 第29話
藤山寛美(1929年〜1990年)
昭和の喜劇王にして松竹新喜劇の立役者
藤山寛美(ふじやま・かんび)は松竹新喜劇の大スターとして活躍した喜劇王。舞台、映画、テレビとその姿を見ない日はないというくらいの人気でした。寛美を一躍有名にしたのは若旦那役。いわゆる「あほぼん」「あほ丁稚」として舞台に登場すると、大金持ちの社長や権力者に対して、アホはアホなりに物の道理を説き、正義を貫き、最後にはみながその素直な考えに改心するというのが王道のストーリー。庶民はそれを見て、笑い、泣き、溜飲を下げたのです。
そんな藤山寛美も豪遊して借金をして松竹新喜劇を破門になったり、知人にだまされて数億円の借金を背負わされたり、とお金では苦労を重ねていたそうです。しかし、看板スターの寛美がギブアップをするということは、松竹新喜劇が危機に陥るということ。寛美はお客様のために、そして、劇団のために様々な非常識なアイデアを繰り出していきます。
まず、公演を休まないという決断をくだします。病に倒れるまで約20年間、藤山寛美は一日も休まずに舞台に立ち続け客席を沸かせたのです。また、リクエスト公演を実施。これは、客席から演目のリクエストをもらい、決まったその場で大道具のスタッフが舞台を作り始め、役者が演じるという画期的なものでした。
役者としての天性の才能と、商売人としてのアイデアで、松竹新喜劇は大阪だけではなく東京でも大人気を博しました。お客様が喜ぶのであればなんでもする、そんなアホの天才こそが藤山寛美という人だったのかもしれません。
休みなく舞台に立つ間には、風邪を引く日もありました。そんな時、寛美は熱い素うどんに山のように唐辛子を振りかけて、それを自宅の風呂の中ですすったそうです。「そしたら、汗がだくだく出て、風邪の熱なんかあっと言う間に引いてしまうんですわ」と語っていた寛美ですが、そんな無茶と酒が祟ったのでしょう。60歳という若さで肝硬変で亡くなりました。
生前、大阪の街を歩いていると、人気者だった寛美には「アホの寛美や!」とよく声がかかったそうです。寛美は、そんな声に「ありがとうございます」と深々と頭を下げました。そして、「よろしゅうお頼もうします」ともう一度頭を下げる。すると、「あほ」と声をかけた街の人々から「観に行くからな」「がんばれよ」と声がかかったと言います。生涯、アホに徹した天才らしいエピソードですね。