#40 「ヘレン・ケラーを支えた奇跡の人」アン・サリヴァン

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第40話

アン・サリヴァン(1866年〜1936年)
ヘレン・ケラーの家庭教師

幼い頃の病気が元で、聞くことも見ることも話すこともできなくなってしまったヘレン・ケラー。そんなヘレン・ケラーの家庭教師として知られているのがアン・サリヴァンです。サリヴァンは1866年にアメリカ・マサチューセッツ州に生まれたアイルランド移民の娘でした。しかし、母を亡くし、父はアルコール中毒で育児放棄。サリヴァンと弟は牢獄のような隔離施設で育ちました。

劣悪な環境のなかで最愛の弟は数ヵ月で亡くなりました。また、サリヴァン自身も10歳の時に目の病気にかかり盲目になってしまいます。しかし、その後、数回の手術と訓練によって、ある程度の視力が戻った状態で盲学校に進学しました。サリヴァンはこの学校を首席で卒業したのですが、在学中に視覚と聴覚を克服した人物と友人になったことがその後のサリヴァンの人生を変えていくことになります。そして、その友人とのコミュニケーションのために覚えた指文字がヘレン・ケラーの未来を切り拓いたのです。

ヘレン・ケラーの家庭教師となったのは20歳の頃。三重苦になってしまったヘレンですが、家庭が裕福だったため甘やかされ、大らかな性格ではあったものの、とてもわがままだったそうです。しかし、厳しい性格のサリヴァンはヘレンのわがままを許しませんでした。断固たる態度で挑み、例えば、ヘレンの両親に対しても「ヘレンのわがままを許さないでください」ときつく言い渡し、離れでの生活を命じ、両親がヘレンと接触することを禁じました。

このようにサリヴァンは厳しい人でしたが、その根底には貧しい暮らしの中で自分を律して生きてきたということがあったようです。だからでしょうか。サリヴァンは、自分が64歳、ヘレンが50歳になるまで自分の生い立ちについては話しませんでした。しかし、サリヴァンの生い立ちを知ったヘレンはより強くサリヴァンを尊敬するようになったそうです。

サリヴァンは「もし、失敗したら、最初からやり直せばいい。だって、その度に強くなっていけるのだから」という言葉を遺しています。ヘレン・ケラーが三重苦という想像を絶する障害を乗り越え、障がい者福祉の世界を牽引するまでになれたのも、アン・サリヴァンの不屈の精神があったからこそなのです。

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