#48 「天才軍師として時代を予言した男」諸葛孔明

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第48話

諸葛孔明(181年〜234年) 
三国時代の蜀漢の政治家・軍師

諸葛孔明と言えば、まず「三顧の礼」という言葉を思い浮かべる人も多いのではないかと思います。孔明を軍師として迎えたいと思った劉備は孔明の粗末な家を訪れました。3度目の訪問でやっと孔明に会えた劉備。孔明も自分に会うことに諦めなかった劉備に感動し、彼に仕えることを承諾しました。こうして、目上の者が目下の者に礼を尽くして何度も出向くことを三顧の礼と言うようになったのです。

つまり、諸葛孔明はそれほど軍師として優れた人物であったということになります。彼の軍師としての優れた知恵を知らしめた計略に、「天下三分の計」があります。当時、曹操が治める華北と、孫権が治める河南が二大勢力でした。そんな中、曹操が孫権を倒してしまえば、孔明が仕える劉備が力を発揮する場がなくなってしまいます。そこで孔明は、劉備に華北と河南に隣接する国々を手に入れさせ、天下を曹操、孫権、劉備の三人で治めさせるという作戦だったのです。

このように、諸葛孔明は時代をしっかりと見つめ、時代にあった政策をとり、公正な政治を行う人物として評価されています。いわゆる奇策が得意ではなかったと言われる諸葛孔明ですが、逆に軍隊を確実に統治する能力に優れていたとされています。つまり、天下の正直者という評価が諸葛孔明にこそふさわしい評価なのかもしれません。

部下から意見されても素直に聞き、謝るべきは謝る。友人であっても罪を犯せば処罰する。そんな正直者としてのエピソードには事欠きません。例えば、蜀の南方で少数民族が反乱を起こした時、孔明はきちんと代表者と話し合いを持ったと言われています。少数民族と言えども、集団の代表者とはきちんと話し合わなければならない、という彼の考えに則った行動でした。 諸葛孔明は戦いにおいて「心を攻める」ということを上策としていたと言います。これは相手を懐柔するということではなく、話し合う相手の気持ちを理解するということを大切にしたということだと伝えられています。だからこそ、諸葛孔明は亡くなってからも後生の人々から厚く敬われているのですね。

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