#50 「挑戦し続けたクールの帝王」マイルス・デイヴィス

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第50話

マイルス・デイヴィス (1926年〜1991年) 
アメリカのジャズトランペット奏者、作曲家

モダン・ジャズの帝王と呼ばれ、真のジャズ・ジャイアントとしてジャズ界を牽引したマイルス・デイヴィス。父は歯科医、母は音楽教師という裕福な家庭で生まれたマイルスは13歳の誕生日に父からトランペットを贈られ、演奏を始めました。高校在学中の15歳の時にセントルイスのクラブに出演するようになり、18歳の時にチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーと共演を果たしました。

1948年にデビューアルバム『クールの誕生』をリリース、1950年代に入ると様々なジャズ・プレイヤーとセッションを行い注目を集めました。なかでも1959年リリースの『カインド・オブ・ブルー』はモードジャズと呼ばれる奏法を取り入れ、革新的で完成度の高い名盤となりました。

世界には数多くの名だたるジャズ・プレイヤーがいますが、マイルス・デイヴィスには明確な特徴があります。それは常に新しいものを追い求めて挑戦し続けたということではないでしょうか。その証として、マイルスは同じメンバーでグループを組み続けることはしませんでした。その時代に必要とされる音楽を実現するために、若くても実力あるプレイヤーを次々と採用。また、演奏方法も時代ごとに変え、同じ所に立ち止まることをよしとはしなかったのです。

ビバップからクールへ。クールからモードへ。さらに60年代の後半に入るとジャズの定番であった4ビートからロック色の強い8ビートへと移行していきます。ファンクやロックを大胆に取り入れた70年代のマイルスは若いファンから圧倒的に支持され、オーソドックスなジャズファンからは批判されることも多かったのです。

それでもマイルスは前進し続けることをやめませんでした。肌の色に関係なく、様々なミュージシャンと親交を深め、興味をもった音楽であればジャンルを問わず取り入れ、やりたい音楽が見つかればためらうことなくグループを解散し、新しいグループを組む。そうすることで、モダン・ジャズの帝王、マイルス・デイヴィスはジャズ界のレジェンドとなったのです。

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