#51 「並外れた記憶力で貼り絵を続けた放浪の天才」山下清

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第51話

山下清 (1922年〜1971年)
「日本のゴッホ」と呼ばれた画家

裸の大将として映画やテレビドラマにもなり、多くの人から愛された山下清。彼は東京の浅草に生まれました。3歳の頃に病気で危篤となり、軽い言語障害と知的障害の後遺症をもつことになりました。そんな彼が絵の才能を開花させたのは千葉県の知的障害児施設『八幡学園』でした。

八幡学園で『ちぎり紙細工』に出会い、山下清はその楽しさに没頭。後に、学園の顧問医を勤めていた式場隆三郎の目にとまり、指導を受けました。その指導によって清の貼り絵による絵画はどんどん上達。1937年には早稲田大学で小さな展覧会が開かれるまでになったのです。清の作品を見た人々はその独創性と緻密さ、素朴さに惹かれました。そして、次々と展覧会が開かれ、画家の梅原龍三郎は「作品の美の表現の激しさ、純粋さはゴッホやアンリ・ルソーの水準に達している」と評価しました。

清は18歳になると放浪をくり返すことになります。徴兵検査を受けたくなかった清は半年ごとに放浪しては園に戻ってくるということを数年間、繰り返しました。その時のリュックサックを背負っていた姿が、みなさんもよく知っているテレビドラマに登場する姿なのです。しかし、清は旅先ではほとんど絵を描くことはありませんでした。旅先で見聞きしたものを園に戻ってから記憶だけを頼りに完成させたのです。

日常生活においては、人並みのことができないということが多くあった山下清ですが、その映像としての記憶力だけは驚異的で誰にも真似の出来ないものでした。そんな裸の大将・山下清の貼り絵は現在も高く評価され、また多少のフィクションを織り交ぜた清その人も、度々ドラマ化されるなど忘れられることがありません。

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