#57 「神童を呼ばれながら努力を惜しまなかった天才作曲家」ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第57話

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756年〜1791年)
古典派、ウィーン古典派を代表するオーストリアの音楽家

クラシック音楽の巨匠として誰もが知っているモーツァルトの登場です。「レクイエム」「魔笛」「フィガロの結婚」など、数多くの作品を世の中に生み出しました。作曲を始めたのはなんと5歳の時というから驚きです。わずか35歳で亡くなったモーツァルトですが、その短い一生の間に生み出した作品は900曲以上。さすがに神童と呼ばれた人だけあります。

作品だけではなくその人生も華やかで、子どものころから宮殿で演奏する機会にも恵まれていました。1762年、6歳のモーツァルトはシェーンブルン宮殿で演奏したそうです。その時に出合ったまだ7歳のマリー・アントワネットに「大きくなったら、僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったというエピソードは有名です。生粋のプレイボーイだったのでしょうね。

しかし、神童、プレイボーイと言われた華々しい人生ですが、実は大変な努力家であったと言われています。早熟の天才であったモーツァルトは、1769年から1771年にかけてイタリアを旅しました。バチカン・システィーナ礼拝堂で聞いたグレゴリオ・アレグリの『ミゼレーレ』に感動したモーツァルトは、これを暗譜で書き残したそうです。さらにボローニャでは作曲家マルティーニから「対位法」や「ポリフォニー」といった音楽技術を学びました。

神童という評価に甘えず、努力を続けることができたからこそ、モーツァルトは後に三大巨匠と呼ばれるまでに評価されることになりました。ただ、最初から彼の曲が人々に知られていたわけではありません。現在も演奏され続けている名曲の数々は、モーツァルトが30歳前後になってからのものがほとんど。それはちょうど、彼の良き理解者であった父の死と重なります。天賦の才と並外れた努力、そして、深い悲しみを知ったとき、モーツァルトの楽曲は、本当に人々の心を打つものへと昇華されたのかもしれませんね。

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