#67 「世紀の悪役となったフィギアスケート選手」トーニャ・ハーディング

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第67話

トーニャ・ハーディング(1970年〜)
アメリカ合衆国の元フィギアスケート選手

1994年1月6日。アメリカのスケート界に大きな衝撃が走りました。オリンピック選考会である全米選手権の会場で、優勝候補と見られていたナンシー・ケリガンが何者かに膝を投打されたのです。ケリガンは怪我のために全米選手権を欠場。この大会での優勝者はトーニャ・ハーディングでした。

しかし、事件発生から2週間後、ハーディングの元夫がケリガン襲撃の容疑者として逮捕。ハーディングにも疑惑の目が向けられたのです。全米スケート協会とアメリカオリンピック委員会はハーディングをオリンピックチームから追放しようとしました。しかし、ハーディングは法的措置をほのめかすことで、そのままチームに留まることに成功したのです。

波乱の幕開けとなったリレハンメルオリンピック。ケリガン、ハーディングはともに代表として出場。しかし、ハーディングはここでも演技の途中で泣きだし、スケート靴の不調を訴え、演技をし直すというトラブルを引き起こします。結果、ハーディングは総合8位に終わり、ケリガンは2位入賞で銀メダルを手にしました。

貧しい家庭に育ったハーディング。ジャンプ力で頭角を現しましたが、成功を焦りすぎたのか、それとも嫉妬心が強すぎたのか。オリンピック後にはケリガン襲撃事件への関与を認め、事実上スケート界を去ることになりました。その後はプロレス界への転向などが報じられましたが、1998年にはアメリカのテレビ番組でケリガンと対面。直接謝罪し、1999年プロスケーターとして再出発することになったのです。 しかし、それもつかの間。2000年にはボーイフレンドへの暴行容疑で逮捕されてしまいます。才能がなければ夢をつかめない。

しかし、才能だけでも人々の尊敬を集めることはできません。そんな、夢をつかむことへの焦燥感がハーディング自身の人生を翻弄したのかもしれませんね。

タイトルとURLをコピーしました