#93「バカヤローと叫びながら日本を守った男」吉田茂

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第93話

吉田茂(1878年〜1967年)
日本の外交官・政治家

吉田茂といえば、日本の元首相。外交官から外務大臣になり、1946年5月〜1947年5月、1948年10月〜1954年12月まで10年近く内閣総理大臣を務めました。吉田が内閣総理大臣を努めた期間は、第二次世界大戦後の混乱期であり、アメリカの占領軍GHQとのやりとりの矢面に立たなければならない時期でした。癇癪持ちで頑固者だった吉田の登板を不安視する官僚も多かったそうですが、彼は同時に洒脱でユーモアを解する人物だったため、GHQのトップであったマッカーサー元帥とは仕事を離れた友情を結んだと言われています。

国会の質問者に「バカヤロー」と発言したことで衆議院を解散させたり、しつこいカメラマンにコップの水をかけたり、ゴシップで騒がれることも多かった吉田茂。しかし、そんな彼が長い間日本の政治を率いることができたのは、人を見る目があり、人を育てる力があったからです。官僚出身者を中心としたグループを作り、吉田学校と呼ばれるほどの勢力を誇りました。この中には後に総理総裁となる佐藤栄作や池田勇人、田中角栄らがいます。吉田は戦後保守政権の中核を担う人材育成にも力を発揮したのです。

共に戦後日本の復興に尽力した白洲次郎も言っていますが、吉田は本来外交官であり政治家ではありません。しかし、日本の復興のために吉田は全力を注いだと言えるでしょう。だからこそ、「戦争には負けても、外交に勝った歴史はある」と、マッカーサーに対して「よき敗者」として振る舞い個人的な信頼関係を築いたのです。

「450万トンの食料の緊急輸入が必要だと君は言ったが、結局米国は70万トンしか出さなかった。それなのに餓死者が出なかったじゃないか」とマッカーサーに問われた吉田は、「当然です。日本の統計が正確なら戦争などしていません。統計通りなら日本は勝っていたはずです」と返しました。マッカーサーは大笑いをしたと言います。吉田の豪胆と繊細を表す逸話かもしれません。

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