#99「言葉を愛し、人を愛した言語学者」金田一京助

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第99話

金田一京助(1882年〜1971年)
日本の言語学者、民俗学者

金田一京助は国語辞典『明解国語辞典』の編者として知られています。また、金田一京助という名前は横溝正史が著した探偵小説の主人公・金田一耕助のモデルとなったことでも広く知られるようになりました。長男の春彦は「金田一という苗字は、金田と間違えられることが多かったので、横溝さんには千金を積んでもいい」と感謝を語っています。

もともと金田一京助はアイヌ語研究で評価された人でした。当時、日本人でアイヌを研究していた人物はおらず、アイヌ語研究は日本の学者の使命だと言う先輩の言葉を頼りに研究への道を踏み出したのです。金田一が初めて北海道に渡りアイヌ語の採集を行ったのは1906年。以来、コツコツとアイヌ語研究を継続しました。

しかし、親友であった石川啄木が病に倒れ危篤となった時にも金が無く、自分の処女出版作の原稿料の半分をもって病床に駆けつけました。しかし、啄木は死去。また、同じ年には父が無くなり、まだ息のある時に「京助、おれはおまえに飯粒一つ食わせてもらったことはなかったぞ」と言われたそうです。これらの経験から金田一は「金にならないアイヌ語研究をやめてしまおう」と考えました。でも、父を犠牲にしてまで続けてきた研究を中途半端で終わらせるわけにはいかない。そんな想いが、金田一を奮起させたのです。

結果、金田一京助はアイヌ語研究の第一人者となりました。しかし、一芸に秀でた者の特徴なのでしょうか。彼もまた自分の研究以外には頓着しない傾向があり、どちらかというと不器用な人だったそうです。昭和天皇にアイヌ語について話す機会があったときも、持ち時間の5分を大幅に超えて2時間近く話してしまいました。そして、「陛下の前で大恥をかいた」と落胆。憔悴の日々を過ごしたそうですが、後日、茶会で陛下から直接「この間の話は面白かった」と声をかけられ、金田一は涙が止まらなかったそうです。

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