#123「人類史上最速と呼ばれた男の人知れぬ努力」ウサイン・ボルト

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第123話

ウサイン・ボルト(1986年〜)
ジャマイカ出身の元陸上短距離走者

ジャマイカ出身のウサイン・ボルトは陸上競技の選手として様々な種目で世界記録を更新しました。自己ベストは2009年8月にベルリンで行われた世界陸上。決勝での優勝タイムは100mが9秒58、200mが19秒19でした。タイムを競うスプリンターなのですから、速ければ速いほど注目されるのは当たり前です。しかし、ボルトはそれ以上の人気を誇っていたように思えます。それは、彼にポジティブな明るさがあったから。もともとボルトが走り始めたのも、小さなきっかけがあったからです。

まだ12歳だったボルトが友人と「走るのが速いのはどっちだ」と口論していたそうです。そこへ、地元の聖職者が現れ「それなら勝負してみたら。勝った方にはランチを御馳走するよ」と持ちかけたのです。そして、勝ったのはボルトでした。ランチに釣られてスターが誕生したと言っても過言ではないのかもしれません。そう、彼の人気の源は何にでもポジティブに取り組み、明るく楽しむことができる性格です。

ただし、競技者としてのボルトは人知れず努力を重ねる日々でした。なにしろ、彼は背骨が湾曲する脊柱側湾症という症状を抱えていたのです。このため、若い頃のボルトはケガに悩まされ、それがタイムにも影響を及ぼしていました。そこでボルトは体幹を鍛え、曲がった背骨を肉体改造で克服したのです。

肩を大きく上下させる特徴的なフォームで走るボルトですが、これは曲がった背骨のバランスをとろうとして生まれたフォームでした。これがいわゆるスライド走法へつながり、ボルトは記録を伸ばしました。しかし、同時にこの走法がボルトのももの筋肉へ負担をかけ、彼は激しい肉離れに悩まされることになったのです。

それでも、ボルトは走ることをやめませんでした。より筋肉を鍛え、肉体的な限界をトレーニングによって乗り越えたのです。2004年のアテネ・オリンピックは1次予選敗退の苦汁をなめましたが、2007年世界選手権200mでは再び銀メダルを獲得し、ここから2008年の北京オリンピック、男子200m決勝では世界新記録で優勝を果たしました。こうしてボルトは決して恵まれていたとは言えない肉体を自らの意思で鍛え上げ、選手生命を伸ばし、2016年世界陸上ロンドン大会で100m、200m、400mリレーのすべてで1位を獲り、引退を表明しました。

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