#130「誰もが知っている世界で一番有名なシェフ」カーネル・サンダース

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第130話

カーネル・サンダース(1890年〜1980年)
ケンタッキーフライドチキンの創業者

街角で見かけると、ときどき無性に食べたくなるケンタッキーフライドチキン。あのお店の前に立っているニッコリ笑った白髪のおじさんがカーネル・サンダースです。彼の本名はハーランド・デーヴィッド・サンダース。カーネルというのはケンタッキー州に貢献した人に与えられる「ケンタッキー・カーネル」という称号なのです。でも、ここでは親しまれているカーネル・サンダースという名前で紹介していきますね。

サンダースはなかなかの苦労人でした。6歳の時に父親が亡くなり、母親が女手ひとつでサンダースと幼い弟と妹を育ててくれたのです。彼は14歳で学校を辞め、農場で働いたり、市電の車掌をしたりしていました。16歳で軍隊に入り除隊後は職を転々。機関車修理工、ボイラー工、保険外交員、セールスマンなど、何十種類もの職業を渡り歩いたのち、30代後半にはケンタッキー州でガソリンスタンドを経営するようになりました。しかし、これも大恐慌のあおりを受けて倒産。彼の苦労はまだまだ続きます。

その後、サンダースはレストランを併設したガソリンスタンドで大成功、ケンタッキーからの称号もこの時にもらったものです。しかし、店の近くにハイウェイが開通するとサンダースの店には客が来なくなりました。仕方なく店を手放すことになったのですが、負債の返済を終えるとお金はほとんど残りませんでした。サンダースの手元に残ったもの、それはレストランの人気メニューであったフライドチキンのレシピだけだったのです。

そして、ピンチのサンダースを救ったのもこのフライドチキンのレシピでした。ハイウエイが開通する三年前に彼が開始したフランチャイズ化が功を奏したのです。これはレストランの経営者や従業員にフライドチキンのレシピを教えるというもの。このレシピで売れたチキン1羽分につき5セントを支払ってもらうというビジネスモデルでした。店を畳んだ後、サンダースはこのフランチャイズビジネスの普及を推進するために、自分でワゴン車でアメリカ中を駆け回ったのです。その結果、10年後にはアメリカとカナダで600店舗を越えるフランチャイズチェーンになりました。

彼がフランチャイズを始めたのは65歳でした。何度もやってくる困難に負けることなく、年金生活を捨ててでも自分の信じたビジネスを推進する。そんな驚くほどのポジティブ思考があったからこそ、今も世界中でケンタッキーフライドチキンは愛されているのでしょう。

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