#131「ひらめきを発明に変え、ビジネスにした男」トーマス・エジソン

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第131話

トーマス・エジソン(1847年〜1931年)
アメリカの発明家

エジソンは電球や蓄音機、映写機などを発明した発明王として多くの人々に知られています。彼が発明した多くの製品は現在でも使われていたり、製品の原型になっているものが多いのですが、それには理由があります。その理由とは、エジソンがただ新しいものを追求するだけの技術者ではなかったからです。

エジソンの伝記によると、彼の発明家としての資質を育てたのは母親でした。落ち着いて勉強することができなかったエジソンは、小学校を退学になってしまいます。そこで、かつて教師だった母親は息子が疑問に思うことを一緒に調べるという勉強方法を授けました。つまり、興味を持ったことを自分で調べ、自分で学ぶ、という研究の仕方を彼は母親から直接伝授されたのです。

さらに9歳のエジソンは、母親が作った野菜を町に売りに行くということを始めます。ただ野菜を売るのではなく、ほしい野菜を聞いて来て、どんな野菜を作れば良いのかを母親にアドバイスする。つまり、ここでエジソンは需要と供給を学び、ビジネスを学んだのです。だからこそ、彼の後年の発明は多くの人が必要としていることをしっかりと感じ取り、大量生産することを前提にした発明なのです。

例えば、エジソンは白熱電球の寿命を長くするために京都八幡の竹でフィラメントを作りました。これによって白熱電球の寿命は飛躍的に伸びました。しかし、いくら長持ちする電球があっても家庭に電気がなければ話になりません。そこで、エジソンは各家庭に水力発電を設置することを思いつきました。そして、その設置に必要なベニヤ板やゴムの絶縁体、合成接着剤まで発明したのです。

ひらめきをカタチにすることで発明王となったエジソンですが、もちろんそこには驚くべき努力がありました。彼は自分の頭に浮かんだことはなんでもノートにメモしていたのですが、そのノートはなんと生涯で3500冊にもなりました。嬉々としてノートに記号や絵や文字を書き込むエジソンを想像するだけでもワクワクしてきますね。実際、このノートからは彼の死後も新しい発明品が生まれているそうです。

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