#132「特撮のためならなんでもやった特撮の神様」円谷英二

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第132話

円谷英二(1901年〜1970年)
アメリカ日本の特撮監督、映画監督

『ゴジラシリーズ』を初めとする怪獣映画、『ガス人間第一号』『マタンゴ』などのSF映画、その他、『ハワイ・マレー沖海戦』などの戦争映画。これらの映画の中で、主にミニチュアを使用した特撮シーンの監督として円谷英二は今も神様のような存在です。

元々は撮影監督として撮影所に入った円谷ですが、予算が少なく陳腐な画しか撮れないカットで、手前に絵を描いたガラスを置くガラスワークを行ったり、セットを組めない場面でミニチュアを使用したりと、創意工夫をこらしました。この創意工夫がやがて円谷を特撮監督へと引き上げていきます。『ゴジラ』制作以前からクレーンを自腹で制作したり、アメリカの特撮映画『キングコング』を取り寄せて一コマずつチェックしたり、特撮監督への準備は着々と進められていたのです。

最初に円谷が特撮監督として注目されたのは戦争映画です。戦闘場面をミニチュアを駆使して作り上げたのですが、同時にブルーバックを使用した撮影やコマ撮りなどの手法をハリウッド作品を見てコツコツと研究し、取り入れて行きました。その出来映えはあまりにも素晴らしく、戦後米軍の占領下で、GHQが実写記録フィルムと間違えて押収しようとしたくらいです。

1954年。満を持して『ゴジラ』の制作が開始され、円谷の名声は確固たるものになります。もちろん、名声を得てからも円谷は研究の手を緩めることはありませんでした。キングギドラを撮影する際には、デザインの参考にするため、神社の狛犬を3時間観察していたという逸話も残っています。他にも特撮にのめり込む円谷の逸話は枚挙に暇がないほど。円谷プロの後進たちは「オヤジと同じ特撮監督を名乗るのはおこがましい」という理由から、いまでも「特技監督」と名乗っているそうです。

その後、円谷は『ウルトラQ』などでテレビ界でも活躍しました。しかし、『ウルトラQ』を引き受けるときにも、まだ企画段階で本決まりになっていないのに当時としては破格の4000万円もする特殊効果マシンをアメリカに発注してしまったのです。いい作品を作るためなら後先を考えずに行動してしまう破天荒さと、そのためには心血を惜しまない熱心さが彼を特撮の神様と言わしめたのでしょう。

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