#135「世界中の人々に影響を与えたアメリカの文豪」アーネスト・ヘミングウェイ

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第135話

アーネスト・ヘミングウェイ(1899年〜1961年)
ノーベル文学賞受賞作家

『日はまた昇る』『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』『老人と海』など、数々の名作を生み出し、ノーベル文学賞も受賞しているアーネスト・ヘミングウェイ。しかし、ヘミングウェイはただ名作を世に送り出しただけではなく、よき時代の強いアメリカを具現化する存在だったのではないでしょうか。だからこそ、彼は「パパ・ヘミングウェイ」と呼ばれ、アメリカの父性を象徴するかのような存在となったのです。

しかし、アメリカの強さの象徴のように見られていたヘミングウェイですが、あまり母からの愛に恵まれずに育ったようです。彼の母はなぜか男の子を欲しがらず、小さな頃はずっと女の子のような格好をさせられていたそうです。そんな母との関係は成長すると共に悪化。ヘミングウェイは母が亡くなったときも葬儀に出席しませんでした。一方、父親は活発な人柄で、ヘミングウェイは、釣りや狩り、ボクシングを彼から習ったと言われています。

ヘミングウェイが釣りと狩りに明け暮れ、ボクシングや闘牛が大好きになった背景には父への憧憬と母への反発があったのかもしれません。さらに、小説が認められると、彼は海外の戦場へも取材旅行に出かけます。この頃から、ヘミングウェイ本人も単なる小説家ではなく、永遠のアメリカン・ヒーローとしての道を歩き始めた気がします。

ノーベル文学賞を受賞した時、ヘミングウェイはその絶頂を迎えたのかもしれません。しかし、彼はその授賞式に参列することができませんでした。ヘミングウェイはケニアにハンティングへ行き、その帰りの飛行機が不時着するという事故に遭遇したのです。この時、ヘミングウェイは頭蓋骨骨折、内臓損傷などの重傷を負い、生死の境を彷徨いました。幸い、命は救われましたが、重い後遺症が続き、ノーベル賞の授賞式に参列できなかったのです。

このあたりから、ヘミングウェイは重度のうつ病を発症します。もしかすると、人々の期待するヒーローを演じることが出来なくなったという絶望感から、彼は追い詰められたのかもしれません。1961年、ヘミングウェイは自らのライフルで自殺を遂げました。彼が戦場取材や狩猟にのめり込むような生活をせず、文学だけに専念していればこんなことにならなかったのかもしれない、という気もします。しかし、彼の膨大な作品群は、自らを鼓舞し、危険な冒険を経験しながら書いた作品だからこそ、いまも時代を超えて、多くの人々を感動させるのかもしれません。

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