#136「75ヵ国21言語で出版されているスヌーピーの生みの親」チャールズ・M・シュルツ

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第136話

チャールズ・M・シュルツ(1922年〜2000年)
アメリカの漫画家。代表作は『ピーナッツ』

誰もが知っているスヌーピー。可愛くてちょっとシニカルなスヌーピーが登場する『ピーナッツ』を生涯描き続けたのがチャールズ・M・シュルツでした。シュルツはドイツ系移民の父とノルウェー系移民の母との間に生まれた1人息子。彼が初めて漫画に出会ったのは父の仕事場である理髪店でした。そこに老いてある新聞に連載されている漫画にシュルツは夢中になったのです。そして、幼稚園に入園した当日にお絵かきをしていたシュルツの絵を見た先生はこう言いました。「あなた、絵が上手。将来は画家になるかもしれないわね」と。この言葉は心に大きく響いたと後年、シュルツは語っています。

人生はとても不思議なものです。好きな漫画があって、自分でも絵を描いてみる。でも、それを見て素直に誉めてくれるひとがいるかいないかで、その人の人生は大きく変わるのではないでしょうか。そういう意味ではシュルツは恵まれていました。内気だったシュルツに絵という味方が生まれ、体格が小さいと仲間はずれにされた経験も、チャーリー・ブラウンの誕生につながったのですから。

最初は日の目を見なかったシュルツの漫画ですが、彼が漫画を諦めることはありませんでした。だって、漫画は彼の味方だし、彼自身も漫画の味方だから。やがて、『リル・フォークス』という作品が全米8紙で連載され、それが後の『ピーナッツ』につながっていきます。

周囲の人たちのインタビューから、シュルツはチャーリー・ブラウンそのものだったそうです。気が弱くて大げさで、ナイーブでシニカル。つまり、どこにでもいる男の子をシュルツは描き続けました。その数は50年間で1万7897回。いままでに75ヵ国21の言語で出版されています。日本でも谷川俊太郎さんの翻訳で多くの世代から愛されていますね。

シュルツの作品の多く、特に若い頃の作品は『ピーナッツ』の原稿も分散してしまっているそうです。その理由は第一に、当時は原画を保存しておくという概念がなく印刷所で捨てられたりしてからだそうです。そして、第二の理由はシュルツ自身が語っているように、「ファンから、あの作品に感動した、という手紙が来ると、原画を送ってあげていたから」だそうです。

そんなシュルツの人柄を色濃く反映した作品だからこそ、『ピーナッツ』は広く長く愛される作品になったのでしょう。気弱で仲間はずれにされていたナイーブな少年は、1984年には『ピーナッツ』掲載紙2000誌達成によりギネスに認定され、1990年にはフランスの芸術勲章を受章し、イタリア文化大臣から功労賞を贈られ、ルーブル美術館で『ピーナッツ』展が開催され、ハリウッドの「ウォーク・オブ・フェイム」にも登録されるまでになりました。

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