#138「ナイアガラの滝のような音を創り出した男」大瀧詠一

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第138話

大瀧詠一(1948年〜2013年)
シンガーソングライター、作曲家、DJ、著述家

いまなお輝くようなサウンドが国内だけではなく、海外でも高く評価されている大瀧詠一。彼は岩手県に生まれ、小学5年生の時に聞いたコニー・フランシスの『カラーに口紅』に夢中になったそうです。以来、アメリカンポップスにのめり込み、中学時代にはラジオを自作してFEN(米軍極東放送)を聴いていました。

エルヴィス・プレスリーやビーチ・ボーイズなど、様々なポップソングを聴くと同時に、彼はその音楽を分析するようになります。どんなコードで曲が作られているのか、この躍動感はどこから生まれているのか。1962年から1966年までのヒットチャートはすべて覚えていると豪語するほどでした。しかし、彼の特異性はその興味が同じように日本の歌謡曲などにも向けられていた点でしょう。小林旭やクレイジーキャッツにも大きな影響を受けたと言います。

さて、そんな彼が生み出したアルバムと言えば、やはり『A LONG VACATION』が真っ先に思い出されます。1981年に発売されたこのアルバムは、年を重ねる毎に評価が高まり、海外でも広く聴かれるまでになりました。その魅力はシティ・ポップと呼ばれる洗練されたサウンド。大瀧はそれをナイアガラ・サウンドと呼びました。

普通はギターやピアノ、ドラムといった楽器を演奏し、そのベストな部分を繋げてひとつの曲を仕上げるのですが、大瀧はそのやり方をとりませんでした。また、同じ音をオーバーダビングして音を分厚くするというやり方もとらず、すべてを一発録音で実現したのです。つまり、ドラムが2台あるようなリズムがほしければ、本当にドラムを2台用意して同時に叩いてもらう。リズムギターが3本ほしければギタリスト3人に同時に演奏してもらう。それを一流のミュージシャンが一堂に会して行うのです。

その結果、エフェクトやダビングだけでは生み出せない分厚い滝が落ちてくるかのような荘厳なサウンドを生み出すことに成功しました。入念なリハーサルと打ち合わせ、そして、それぞれの確かな技量があって初めて実現するナイアガラ・サウンド。ただ歌を歌いたい、ヒットを出したいというだけではなく、そんなこだわりのサウンドで軽やかなポップスを届けたからこそ、大瀧詠一のナイアガラ・サウンドはいま聴いても遜色がなく、次々と新しいファンを生み出しながら語り継がれ、聞き継がれているのでしょう。

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