#144「精神分析の創始者となりながら孤独に喘いだ男」ジークムント・フロイト

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第144話

ジークムント・フロイト(1856年〜1939年)
オーストリアの心理学者、精神科医

オーストリアに生まれたフロイトは最初、自然科学者として出発しました。ウィーン大学に学び、脳性麻痺や失語症の研究で論文を書き、業績ものこしています。しかし、この時、フロイトは大きな野望を抱きます。それは、神経症の治療法を自らの手で開発しようというものでした。そしてフロイトはコカインを使った臨床実験をスタート。しかし、大量のコカインを患者に処方するというやり方は多くの依存症患者を生み出し、また、フロイト自身も依存症になってしまうという結果を招いてしまいました。

やがて、フロイトは精神分析へと自身の研究の領域を広げていきます。なかでも「お話療法」といわれる治療法は、現在のカウンセリングの元になるもので、患者と深く話ながら、心理的な原体験を聞き出すというものでした。ここからフロイトは現在に至る心理療法の礎となる治療法を完成させていきます。

しかし、患者の気持ちに寄り添い、その話を聞き出すという能力に長けていたフロイトは、自らも孤独に苦しみました。宗教観の違いから、彼を敬愛するユングやアドラーといった弟子たちに対しても著書のなかで攻撃の手を緩めず、やがて袂を分かちます。

こうして、フロイトは学会や仲間、弟子たちとも疎遠になり晩年は経済的に困窮したそうです。ただ、彼の精神分析の根本的な研究への評価は揺らぐものではなく、彼が亡くなる直前にロンドンに入ると、マリノフスキーやダリなどの著名人が数多く見舞いに訪れました。

心を「無意識」「自我」「超自我」と分類して整理したフロイト。その功績は「無意識」という存在を明らかにし、心理療法の理論を構築したことにあります。死の間際、彼が鎮痛剤の使用を嫌がったのは、鎮痛剤を使うことではっきりと考えられない「無意識」の状態になることを恐れたからでしょうか。末期ガンになっても「ものが考えられないなら、苦痛の方がましだ」と鎮痛剤を拒否し続けたフロイト。彼の本当の平穏は、「もう苦痛だけでなんの光もない」と医師に伝えた翌朝、モルヒネを投与されたときに訪れたのかもしれませんね。

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