#148「王のために戦い、インド航路を発見した男」ヴァスコ・ダ・ガマ

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第148話

ヴァスコ・ダ・ガマ(1460年頃〜1524年)
ポルトガルの探検家

ヴァスコ・ダ・ガマは15世紀末から16世紀の初頭にかけて活躍したポルトガルの探検家です。船しかなかった時代に、ヨーロッパとインドをつなぐ航路を初めて発見した英雄の一人。この航路が発見されたことで、ポルトガルは海外へ進出することになり、ポルトガル繁栄の礎を築いたことになります。

ヴァスコ・ダ・ガマがインドへの新航路発見を命じられたのは28歳の時。財政難であった国を救うために新しい航路を見つけ、インドとの直接貿易を行うためでした。1497年、ヴァスコ・ダ・ガマは4隻の船でインドに向けて出発。約1年かけて一行はインドのカリカットに到着しました。この航海の成功で、ヴァスコ・ダ・ガマはインド提督に任命されました。そして、2度のインド航海を実施。軍事力を駆使して現地の貿易権を独占。ポルトガルはインド洋を支配します。

しかし、インドへの航海は決して簡単なものではありませんでした。天候不順に翻弄されたり、現地での武力行使を余儀なくされたり、病気で乗組員が死亡したり、先住民に突然襲撃されることもありました。それでも、ヴァスコ・ダ・ガマが困難に直面しながらもインドへの新航路を見つめるために、すべてを投げ打って挑戦したのは、生真面目な性格と国王に対する忠誠心だと言われています。

例えば、交渉相手の国に貢ぎ物を渡したとき「このみすぼらしい贈り物はなんだ」と言われると、ヴァスコ・ダ・ガマは「これは私からだ。我が国王ならもっといいものを渡す」ととぼけたそうです。また、航海の報告をするために城に参上したとき、官吏が報告を求めると「私が直接国王に報告する」と中間色への報告を拒否しました。それだけ、国王に対する忠誠心があり、信頼があったからこそ、彼は55歳になっていたにもかかわらず、自らが指揮を執って3度目の航海に出発したのです。

1524年、ポルトガル出発から5ヵ月で一行はインドのゴアに到着しました。しかし、同じ頃、ヴァスコ・ダ・ガマは体調を崩してしまいます。その後、病状は悪化。12月24日には亡くなってしまいます。死因はマラリアでした。若き日にインドへ向けて冒険の旅に出て、国王からの信頼を得、3度目の航海で自らインドで亡くなったヴァスコ・ダ・ガマ。その葬儀はインド・コチンの修道院で執り行われ、その後、遺体はポルトガルへと運ばれました。

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