#149「楽しく強い、笑顔のジャズマン」ルイ・アームストロング

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第149話

ルイ・アームストロング(1901年〜1971年)
アメリカのジャズトランペット奏者

ルイ・アームストロングは1901年、アメリカのニューオリンズで生まれました。ルイが楽器に出会ったのは少年院でした。子どもの頃、お祭りに浮かれすぎて誤ってピストルを発砲してしまったそうです。しかし、その少年院のブラスバンドでコルネットに出会い、町のパレードに参加するようになったのです。1923年にはシカゴに移り住み、楽団に加入、初めてのレコーディングを行いました。1924年にはニューヨークへ。ここでブルースの女王と言われたベッシー・スミスとも共演を果たし、1926年にはついに自分のバンドホット・ファイブを結成します。このグループで、ジャズ史上初と言われるスキャット・ヴォーカル曲を録音し、それがルイの代表曲となっていくのです。

スキャット・ヴォーカルとはなんでしょう。それは、「シャバダバ」「ドゥビドゥバ」という歌詞のない歌。このスキャットを生み出したのがルイ・アームストロングだと言われているのです。スキャットが生まれた理由には諸説あるのですが、一番有力なのがルイのアドリブ。レコーディングの最中に歌詞カードを落としてしまったルイ。適当にスキャットで歌ってみたら予想以上に評判が良く、そのままスキャット唱法として定着したと言います。

しかし、それ以前に、ルイが明るくおしゃべり好きだったということも大きな理由かもしれませんね。明るい音楽と仲間に囲まれて生まれ育ったルイは、子どものころからおしゃべりが好きでした。ある人は、ルイのことを「おしゃべりまでジャズになっている」と評したそうです。それが後のスキャットに結びついていったのかもしれませんね。

ただ、ルイは明るく陽気なだけのジャズマンというわけではありません。まだまだ、法律で黒人差別が許されていた時代。大人気で全米をツアーで回る、ルイ・アームストロングの前にも差別は立ちはだかります。ツアー先のホテルも正面玄関から入ることを許されなかったり、白人と同じ部屋を使うことを禁じられたりしたのです。そんな辛さを乗り越えながらも、自分の音楽を少しでも多くの人に届けようとしたからこそ、ルイ・アームストロングの曲は今も多くの人たちに愛されているのでしょう。

そう言えば、ルイの愛称である「サッチモ」ですが、これは彼がいつも大きな口を開けておしゃべりし、笑っているのを見て、ジャズシンガーであるエラ・フィッツジェラルドが「Such a mouth(なんて口なの!)」と言ったのが最初だと言われています。エラはそう言いながら、サッチモの人としての大きさ、深さを感じていたのかもしれませんね。

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