#150「やんちゃで懸命で面白い大人の役者」三國連太郎

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第150話

三國連太郎(1923年〜2013年)
日本の俳優

日本にもたくさんの俳優がいますが、三國連太郎ほど何度もイメージを変えて観客の前に登場した俳優はいないかもしれません。まず最初は長身の二枚目俳優として登場した三國。しかし、次第に演技にこだわる怪優として知られるところとなります。例えば、家城巳代治監督の『異母兄弟』(1957年)では老人の役作りのため上下の歯を10本も抜き、顔を腫らして出演したのです。時に粗暴な役柄を演じるときには役に入り込みすぎて、プライベートでも他人が近づけないほど粗野になっていたと言います。

この頃の三國は女性関係も奔放で、結婚は4度あり、現在俳優として活躍している佐藤浩市は3番目の妻との間にできた子どもです。しかし、それ以外にもロマンスがたくさんあり、44歳のときには19歳の太地喜和子と大恋愛に陥り、妻子がある身でありながら、太地の実家へ挨拶に行き「10年もすれば息子が自立するので、結婚させてくれ」と挨拶。そのまま太地の実家で同棲を開始したのです。しかし、3ヵ月後には「疲れた」と書いた置き手紙を残して遁走。賭け事や遊びが芸の肥やしと言われた時代の俳優としても異例の非常識っぷりを発揮していました。

しかし、三國は1980年代に入ると、『釣りバカ日誌』シリーズでは主人公の釣り仲間である社長のスーさんを演じて親しまれるようになりました。晩年になってスーさんのような好々爺を演じながら、三國は何を思っていたのでしょうか。最初のうちは「昔の義理で出演している」と言ってはばからなかった三國ですが、最終作となった『釣りバカ日誌20ファイナル』の会見では「この作品のスタッフの情熱は日本映画史上に残る」と絶賛し、「僕にとっては生涯の仕事。俳優としての名誉」と語りました。

怪優と呼ばれ、奔放な行動を繰り返しながらも、最後には国民的な喜劇映画で気のいい社長役を演じた三國連太郎。そこには物わかりのいい今どきの大人ではなく、思った通りに自分の人生を駆け抜けた、大人が面白かった時代の大人の姿があるような気がします。

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