#151「世界文学を目指した文豪」ゲーテ

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第151話

ゲーテ(1749年〜1832年)
ドイツの詩人、劇作家、小説家

世界の歴史的な文豪として知られているゲーテは、1749年、ドイツのフランクフルトに生まれました。裕福な家庭に生まれ育ち、手厚い教育を受けていたゲーテは1774年に『若きウェルテルの悩み』を発表。これは多感な青年であるウェルテルが友情や恋愛、人間関係に悩んだ末に自殺するという手紙形式の小説でした。また、主人公が自殺するという衝撃的なラストシーンで、この小説は異例の大ヒットとなりゲーテは作家としての地位を確立します。ナポレオンはこの小説を7回も読み返したと言います。

この小説の影響は海を越えて海外へも。すぐに英語、フランス語、イタリア語に翻訳されて、ヨーロッパ各地で話題になったそうです。若者たちは作中でウェルテルが着ていた青い燕尾服を着て、黄色いチョッキを身につけ、モデルとなった人の墓は愛読者たちの巡礼地となりました。しかも、小説のウェルテルを真似て自殺する人が続出。このことから、著名人の自殺によって連鎖的に自殺が発生することをウェルテル効果と呼ぶようになりました。

では、この大ヒット小説を生んだゲーテとはどんな人だったのでしょう。彼は子どものころから英語やフランス語、イタリア語やヘブライ語など6カ国語を習得。8歳の頃には祖父母に詩を書き送るようになっていたそうです。しかも、その才能は小説だけではなく、政治にも発揮されました。売れっ子作家となったゲーテは君主であるカール・アウグスト公と知り合い、政治家として招かれます。そこでも手腕を発揮し、最終的には宰相という君主の次のポストまで登りつめたのです。

さらにゲーテは科学者としての顔も持っていました。植物、鉱物に強く惹かれ、彼は日々それらを収集して論文にもまとめました。さらに、色が心理にどのように働きかけるのかということに注目して、現代のカラーセラピーのような考察を行い、『色彩論』という著作も残しているのです。

ゲーテは国民文学という言葉を嫌悪していました。「国民文学に意味はない。いまはもう世界文学の時代が始まっている。そのためにみんなが努力しないとだめなんだ」と。だからこそゲーテは、文学や政治や科学など、様々なフィールドにアンテナを張り、それぞれの分野で大きな功績をのこしたのでしょう。

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