#154「まるで靴職人のように曲を作った男」筒美京平

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第154話

筒美京平(1940年〜2020年)
日本の作曲家・編曲家

作曲家・筒美京平が亡くなったのは新型コロナ感染症拡大を防止するために初めての緊急事態宣言が出されていた2020年5月でした。このニュースに多くの人たちが嘆き悲しんだのですが、同時に驚いたのは筒美京平が生前に作曲した楽曲の多さと幅広さでした。

1969年に発売されて以来、いまも毎週日曜日の夕方になるとテレビから流れてくる『サザエさん』のテーマ曲の他、『また逢う日まで』『さらば恋人』『木綿のハンカチーフ』『魅せられて』などなど、驚くべき数の楽曲を手がけてきた筒美京平。作曲した作品の総売上枚数は約7560万枚。作曲家として第1位の売上数を誇っています。しかも、ヒットチャートにランクインした曲は500曲以上、チャート1位を記録したのは39曲、トップ3以内は約100曲、トップ10入りしたものは200曲を超えています。

筒美京平はジャズ全盛の時代に大学で学びます。当時、彼はジャズにのめり込んでいたそうです。しかし、編曲を学び始めるとめきめき才能を発揮。編曲と作曲を同時に行う天才的なクリエイターとしてヒット曲を次々と生み出していきます。時代はちょうど歌謡曲が人々の暮らしとともにあった高度経済成長期でした。

これだけ天才的な作曲家だと曲を量産し、それをいろんな歌手に振り分けていたように思われるかもしれません。しかし、筒美京平はそんな曲作りはしていなかったのです。彼が楽曲を担当した歌手たちが口を揃えたように言う言葉があります。それは「先生の曲は、私の良さを引き出してくれる曲」だというのです。

岩崎宏美なら、彼女の透き通るような高音が映えるメロディーを。太田裕美なら、彼女のちょっと舌っ足らずなロングトーンを活かすような歌い出しを。尾崎紀世彦なら、彼の声量が際立つような歌の構成を。筒美京平は常に歌手の良さを引き出せる曲作りをしていたのです。それはまるで、靴職人が履く人の足を丁寧に測り、歩くくせをしっかりと把握しながら、快適に歩ける靴を作り出すような作業でした。

どれだけヒット曲を生み出しても、どれだけ売上枚数が伸びても、筒美のそんな曲作りの姿勢は変わりませんでした。だからこそ、彼は1960年代後半から亡くなる直前までヒット曲を作り続け、1960年代から2000年代と5年代でチャート1位を獲得し、その内、1960年代から2010年代の6年代でトップ10入りを果たす快挙を成し遂げることができたのです。

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