#157「生真面目なパパだった音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第157話

ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685年〜1750年)
ドイツ・バロック音楽の作曲家

『G線上のアリア』『主よ人の望みの喜びよ』『トッカータとフーガ』など、誰もが聞いたことがある曲を数多く生み出した大作曲家・バッハ。しかし、彼は生前、作曲家としてそれほど高く評価されたわけではなさそうです。どちらかというと、子どもを20人も授かり、その中から音楽関係で名声を集める者が多かったため、バッハの中のバッハという意味で「大バッハ」と呼ばれていたそうです。これは、あくまでもたくさんの音楽関係者を育てたという評価ですね。どちらかというと作曲家と言うよりも、オルガン奏者としての評価のほうが高かったと言われています。

バッハは真面目で真っ直ぐな人でした。だからこそ、子どもたちにも愛情を存分に注ぎ、子どもたちのために練習曲を作曲しています。そのおかげで、音楽の才能に目覚めた者がたくさんいたわけです。もちろん、彼自身も音楽に懸命に取り組みました。作詞家の兄が集めていた楽譜をこっそり持ち出すと、ひとりで書き写しながら音楽を勉強したそうです。しかし、時には真面目で真っ直ぐな性格が災いを生むこともありました。音楽に情熱を燃やすあまり、自分の曲の解釈を巡って演奏者とケンカになることもしばしば。ある時には宮廷楽団の楽長の後任に自分よりも能力の低い人物が採用されたことで激怒し、公爵に意義を申し立て続けたことで逮捕されてしまいます。

こうやってバッハのエピソードを見てみると、とても人間味の溢れた人だったことがわかりますね。コーヒーが大好きで『コーヒー・カンタータ』を作曲したり、大好きな演奏者のコンサートを聴くために3日以上歩いてみたり。そんなバッハは亡くなった後、しばらくして再評価されます。そして、そのあたたかな滋味溢れる音階は現代の音楽の基礎を形作ったと評価されるようになったのです。子どもたちにとって、良い父親だったバッハは、いつしか「音楽の父」と呼ばれるようになりました。

タイトルとURLをコピーしました