#160「名作を世の中に送り出した映画マニア」木村元保

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第160話

木村元保(1934年〜)
町工場の経営者であり映画制作者

『泥の河』という映画があります。1981年に公開されたモノクロ映画で、小栗康平の初監督作品。この映画は米国アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされ、世界各国でも公開された評価の高い作品です。しかし、この映画が一人の町工場の経営者が生み出した自主制作映画だということはあまり知られていません。

映画『泥の河』を制作したのは木村元保。この木村という人物、実は町工場の経営者だったそうです。しかし、若い頃から映画が好きで、仲間を集めては16ミリで劇映画を自主制作していました。何本もの自主映画を作った木村ですが、それでは飽き足らず、もっと本格的な映画を世の中に送り出そうと、当時、名監督と謳われた増村保造を招聘し『大地の子守唄』『曽根崎心中』を制作します。

この二本の作品は高く評価され、増村保造にとっても代表作となったのです。この勢いにのって、今度は自分で本格的な劇映画を撮ろうと考えた木村。しかし、その計画は途中で頓挫してしまったそうです。普通なら、それで話しが終わるのですが、さすが木村元保。なんと、計画が本格稼働する前に35ミリのフィルムを既に購入していたから大変です。

その時に木村が思い出したのは小栗康平。当時、小栗はまだ助監督だったのですが、プロも使用する編集室に出入りしていた木村とは顔見知りでした。そんな小栗に木村は「フィルムがあるんだけど、小栗さん映画撮らない?何が撮りたい?」と声をかけたそうです。驚いたのは小栗康平。そろそろ自分の作品を撮りたいと思っていた時期でしたが、映画産業はすっかり斜陽でした。助監督から監督へとエスカレーター式に昇進させてくれるシステムなどとうに崩壊していたのです。

宮本輝さんの『泥の河』を撮りたいんだけど、と半信半疑で伝えた小栗でしたが、木村は本気でした。小栗康平の才能と木村元保の常識破りの熱意、そして、撮影所で培われた技術スタッフたちの協力によって奇跡の自主映画は出来上がったのです。好きこそものの上手なれと言いますが、映画ほど大勢のスタッフと不確定な要素が絡み合う芸術はありません。それを実現させたのはやはり、木村元保という人物の並外れた映画愛だったのでしょう。

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