#166「我慢強さで江戸幕府を開いた三英傑の一人」徳川家康

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第166話

徳川家康(1543年〜1616年)
江戸幕府初代将軍

徳川家康はいまの愛知県、三河国で生まれました。6歳で織田家の人質となり、8歳からは今川家で育ち、1960年に今川義元が織田信長に討たれると同時に、19歳で故郷の岡崎城に戻ったのでした。幼少期から波瀾万丈なスタートを切った家康ですが、そのせいかとても我慢強い人だったと言われています。

なにしろ19歳まで人質としての生活を強いられ、信長の命令で自分自身の長男である信康を自害させたこともあります。さらに、秀吉の死後にようやく天下をとることができたのですから、じっと待つことが彼の生き様だったのかもしれません。

そう考えると、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」という有名な歌は、たんに家康の性格を表した歌ではなかったのかもしれませんね。時には「天下が転んできた」と揶揄されることもある家康。しかし、子どものころから苦労して、人の醜さとともに温かさを身をもって知る身だからこそ、厚い人望を誇る武将となったのでしょう。

では、そんな家康には常人では考えられないような側面はないのか。いえいえ、ちゃんとあります。それは、驚くほど負けず嫌いな性格。じっと耐え忍びながらも、決して負けを許さないしつこさが彼の持ち味です。

その負けず嫌いは子どものころからだったようで、まだ竹千代と呼ばれ、人質として今川家で暮らしていた頃。他の家臣達が彼を馬鹿にしたそうです。普通なら、泣き寝入りしても仕方がない状況ですが、家康は縁側で立ち小便を始めました。声高に言い返すでもなく、逃げ出すでもなく、相手を小馬鹿にするように立ち小便をする。そんな負けず嫌いな性格と豪胆さが、後の天下取りにつながったのかもしれません。

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