#174「ツタンカーメンの呪いにも負けなかった男」ハワード・カーター

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第174話

ハワード・カーター(1874年〜1939年)
イギリスのエジプト考古学者

ハワード・カーターはまだ十代の頃からエジプト考古学の大家であったフリンダーズ・ピートリー卿のもとで学び始めました。1891年、17歳のカーターは遺跡発掘の助手としてエジプトへ動向。高等教育こそ受けていませんでしたが、現場で培った知識と技術で考古学者としての実力を身につけていきました。

そして、1916年、エジプトの「王家の谷」発掘調査に出かけ、1922年にツタンカーメン王の墓を発見したのでした。これは世紀の発見と言われましたが、当時のカーターは学会や大学に人脈が少なかったことで、あまり高くは評価されませんでした。カーターの暮らしは、ツタンカーメン王の墓を発見する前とほとんど変わらなかったそうです。しかし、晩年は再評価され恵まれた環境で研究生活を送れるようになりました。

ツタンカーメンの墓が発見された直後、発掘の資金援助をしてくれていたカーターの伯父が突如亡くなりました。また、他の発掘関係者が数名相次いで死亡。当時の新聞その他がこれを「ツタンカーメンの呪い」として報道したことで、ツタンカーメンの墓に近づいた者はその呪いで死ぬ、という伝説が広まりました。

では、ツタンカーメンの墓を発見した当の本人であるハワード・カーターに呪いは降りかかったのでしょうか。実は彼と同姓同名の人物が交通事故で亡くなり、本人が亡くなったかのような報道が出たのですが、それはすぐに誤報だと訂正されました。そして、ハワード・カーター本人は、呪いなどどこ吹く風と、64歳で亡くなるまでいたって健康に過ごしたそうです。

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