#179「店を愛するが故に、自ら店を破壊したカレー王」宗次德二

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第179話

宗次德二(1948年〜)
大手カレーチェーンの創業者

大手カレーチェーン、CoCo壱番屋の創業者である宗次德二は幼い頃から苦労をして育ってきました。生後間もなく孤児院で育ち、3歳の時には養父母に引き取られたのですが、ギャンブル好きな養父だったことから暮らし向きは安定せず、15歳までは生活保護をうけていたそうです。15歳で養父が亡くなってからは養母と暮らし、苦学生としてアルバイトと勉学にいそしみました。

高校を卒業後、不動産会社で勤務している時に、妻と知り合い結婚。結婚2年後には2人で独立して不動産業を始めました。しかし、収入の安定しない不動産業を補うために妻と2人で名古屋市内に喫茶店を開業。すぐに喫茶店こそが天職であると悟ったそうです。その後、喫茶店で出していた妻のカレーが評判を呼び、カレー専門店へと業態を変え、それが現在のカレーハウスCoCo壱番屋へとつながっていきます。

宗次はユニークな人でした。社交的な妻とは対照的に、人と接するよりも仕事を優先。2002年に「後継者が育った」という理由から社長を引退。現在は役員からも退任しています。しかし、社長を務めている間は毎日の睡眠は3時間から4時間。毎朝5時前には出社して「お客様アンケート」を読むのが常だったといいます。この「お客様アンケート」は毎日1000通以上あったそうです。

さらに、宗次の人となりを伝えるエピソードとしてこんなお話しがあります。福島県の店舗を閉店したとき、宗次は自らハンマーを持ち込み、解体業者が入る前の明け方頃に店のカウンターをたたき壊したのです。「当時、私はもう社長ではなかったので、社長の決定に口出しをするつもりはありませんでした。でも、自らの立地選択のミスは許せなかった。とても悔しかった」と語る宗次。彼は自らオープンした店に決着を付けるために、自らハンマーを振り下ろしたのです。ただ、金儲けのための仕事ではなく、自分自身の不幸な生い立ちから人生を立て直すための仕事。そんな仕事に人生を賭けた宗次だからこそ、睡眠時間を削って仕事をし、自らオープンした店舗を自らの手で破壊するという衝動に駆られたのでしょう。

宗次は現在、カレーハウスCoCo壱番屋のすべての仕事から手を引き、まったく口出しをせず、自らの趣味であるクラシック音楽やスポーツの振興、福祉施設やホームレス支援のNPO法人の理事長などを務めています。2007年には私財をなげうって宗次ホールを名古屋に建設。名古屋市芸術奨励賞を受賞しました。いまも宗次は朝の4時に起床し、ホールの周辺の掃除をして、花壇を整えたあと、スタッフのランチを作っているそうです。そして、あなたが宗次ホールに出かけたら、きっと入場口には宗次德二の姿があるはず。彼は公演前にお客様を迎え、そして、お客様と一緒にクラシック音楽を鑑賞することをこの上ない喜びとしているのです。

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