#180「自らを追い詰めながら名作を書き続けた文豪」フョードル・ドストエフスキー

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第180話

フョードル・ドストエフスキー(1821〜1881年)
ロシア帝国の小説家・思想家

ドストエフスキーは『罪と罰』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』など、世界中で読み継がれる名作を書いた文豪として知られています。彼の作品が時代を超えて、言語を越えて読み継がれているのには理由があります。それは、作品のテーマが常に人間の本質についての普遍的な内容だからです。登場人物たちの複雑な関係性などを通して見えてくるのは人間のもつ悲劇性。貧困や憎悪など、人の醜い面をしっかりと見据えようとする姿勢は、多くの熱狂的な読者を獲得しました。

そんな文学的なテーマを掲げたのは、ドストエフスキー自身の経験によるものだったのかもしれません。15歳の時に母を亡くし、さらに18歳の時に、裕福だった父が農民たちの恨みを買い惨殺されるという事件が起こりました。その後、士官候補となったドストエフスキーですが、兵士という仕事が肌に合わず、作家を志すようになったのです。

ドストエフスキーの作品は、どこか自分自身の人生を重ね合わせた内容のものが多かったようです。そのせいで、というわけではないのでしょうが、彼の人生は波瀾万丈なものでした。もっとも彼を翻弄したのは賭博への依存でした。とにかくギャンブルに目がなくお金があればすべてをつぎ込み、なければ出版社から前借りしてでものめり込んでいたようです。そのために、無理なスケジュールで執筆をし、間に合わないとなると口述筆記に頼ることもあったようです。

そして、もう一つ、彼を翻弄したのは女性関係。既婚者と恋に落ちたり、前述の口述筆記をするスタッフと恋仲になり結婚したり。複雑な恋愛関係になってしまうことが多かったようです。しかし、作家としてはどっしりと落ち着いた環境の中で、じっくりと書き進めるというタイプではなかったので、むしろ人生に翻弄されることが、数々の名作を生み出すことにつながったのかもしれません。

若き日の父の惨殺。自分自身の賭博への依存。複雑な関係をもとめてしまう恋愛体質。そのすべてが、ドストエフスキーの作品を深いものへと昇華させ、名作を生むきっかけを与えてきたのです。ドストエフスキーの作品には常に新しい時代をより良いものにしようとする革命思想とでも言うべき思考があります。だからこそ、ソビエト連邦においては発禁処分を受けていましたが、生誕200年を機に国家レベルで祝福されるようになり、サンクトペテルブルグで晩年を過ごした家は、博物館となっています。

タイトルとURLをコピーしました