#190「ワガママなテレビタレントのパイオニア」大橋巨泉

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第190話

大橋巨泉(1934〜2016)
日本のテレビタレント、放送作家、元参議院議員

大橋巨泉は東京の両国の生まれ。中学・高校時代はアメリカに憧れアテネ・フランセで英語を勉強しました。また、若い頃から俳句を嗜むなど、知的好奇心が旺盛だったようです。しかし、理数系の科目が苦手だからと早稲田大学を中退してしまったり、2年後輩の寺山修司と出会い「こいつにはかなわない」と俳句から足を洗ったりと、目端の利くワガママなところもありました。

そんな大橋巨泉が芸能界に入ったきっかけは、ジャズでした。実家のカメラ店に入社するも、「サラリーマンは無理」とすぐに辞めてしまい、ジャズ喫茶に出入りしていたのですがその時に得た知識でジャズ評論家となり、そこから放送作家へ。口が立つことが幸いしてテレビの司会者として抜擢されたのです。特に同じ放送作家出身の前田武彦とコンビを組んで司会をした『ゲバゲバ90分!』は大ヒット。大橋巨泉の人気を不動のものとしました。

その後、深夜の大人の番組『11PM』やクイズ番組『クイズダービー』など娯楽番組をヒットへと導きました。しかし、彼の得意分野は娯楽だけではなく、テレビがいかに社会貢献できるかという当時としては実験的な番組であった『24時間テレビ 愛は地球を救う』の第1回放送の総合司会も担当しています。

しかし、もともとワガママな資質のある大橋巨泉。彼の番組の面白さも、彼が自分で面白いと思うことをとことん追求するという姿勢が根本にありました。「映画は監督のもの、テレビはホストのもの」とは生前の彼の言葉ですが、その言葉通り、自分自身の引き際もしっかりと考えていたようです。大橋巨泉がセミリタイアを実行したのは56歳。そこからはテレビのレギュラー番組をほとんどなくして、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどを移住先として悠々自適なリタイア人生を送りました。

セミリタイア後もビートたけしやタモリなどの番組にスポット出演したのですが、その際、テレビ局で著名な売れっ子を見つけると「今度、お前の番組に出てやる」などと自ら出演交渉。こうなるとワガママというよりも天真爛漫な子どものよう。多くの業界人に愛された昭和の名司会者は、セミリタイアしながらも好きなテレビで活躍し続け2016年、惜しまれながら死去しました。「大橋巨泉さんを偲ぶ会」には王貞治、ビートたけし、タモリ、関口宏、竹下景子、菅直人など、芸能・スポーツ、政財界などから約600人が参列。「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」といった彼の人気番組のセットが復刻展示され、功績を称えました。

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