#214「不屈の闘志で小説を書き続けた作家」山崎豊子

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝214話

山崎豊子(1924〜2013)
日本の小説家

山崎豊子は大阪船場の老舗昆布屋である小倉屋山本に生まれました。言わば良家のお嬢様として大切に育てられたのです。学校を卒業すると毎日新聞社に勤務。その傍ら小説を書き始め、1957年に生家である昆布屋をモデルにした『暖簾』でデビュー。映画化もされ人気を博したことから、翌年には吉本興業の創業者・吉本せいをモデルにした『花のれん』を刊行。直木賞を受賞しました。

作家としてデビュー後しばらくは大阪を舞台にした作品が多く、その代表作として知られているのが『ぼんち』です。この作品は市川雷蔵主演で映画化されヒット。この頃から山崎は社会問題に鋭く切り込む作品を書き始めます。大学病院の闇にメスを入れた『白い巨塔』を著し、財閥系銀行の実態を描いた『華麗なる一族』を出版し、その後も、『不毛地帯』『二つの祖国』『大地の子』の戦争三部作と大作を続々と執筆し、その全てがベストセラーとなり映画化ドラマ化。1995年からは日航機墜落事故を扱った『沈まぬ太陽』を連載し、日本航空の社内腐敗と事故への対応の詳細が白日の下にさらされる結果となりました。

山崎は常に取材に数年かけて小説を書きました。その間、短編もエッセイも書かず、対談も講演もしませんでした。彼女はいつも次の一作に賭けていたのです。次の一作を最高傑作にする。ただそれだけを自分に課して、山崎は走り続けました。

作品のためなら権力者にも決して物怖じしない性格は、中国の総書記に対しても発揮されたそうです。中国残留孤児をテーマにした『大地の子』の取材をしていた山崎は、胡耀邦総書記(当時)に取材を行いました。初対面でしたが山崎はいきなり「中国の官僚主義は根が深い。取材の壁が高いですね」と批判したのです。しかし、言われた総書記は「中国を美しく書かなくてもいい。真実なら欠点を書いてくれてきてもいい」と取材の許可を出したと言います。総書記も、目の前の作家がただ者ではないと感じ取ったからこそ、許可を出したのでしょうね。

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