#215「世界中で2億2千枚以上を売り上げたビー・ジーズのリーダー」バリー・ギブ

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝215話

バリー・ギブ(1946〜)
ボーカルグループ、ビー・ジーズのリーダー

ビー・ジーズは三人の兄弟で結成されたボーカルグループです。イギリス生まれの長男のバリー・ギブと次男のロビン・ギブと三男のモーリス・ギブがオーストラリアで1963年にレコードデビュー。1973年からはアメリカに拠点を移して、活動しました。

ビー・ジーズの特色は兄弟三人による美しいハーモニーです。デビュー当時はその美しいハーモニーを武器に、フォークソング調の優しいメロディアスな曲を特徴としていました。拠点をイギリスに移してからは、ソフトロックと呼ばれるジャンルで次々とヒット曲を連発。『ラブ・サムバディ』『ホリディ』『マサチューセッツ』などの現在でも知られる曲を発表し、日本で大ヒットした映画『小さな恋のメロディ』の主題歌である『メロディ・フェア』や『若葉のころ』などもこのころのヒット曲です。

しかし、ビー・ジーズがいまも多くのファンを惹きつけてやまないのは、彼らが一つの時代の一つのジャンルに留まらなかったからです。1970年代に入り、ヒットを出せなくなったビー・ジーズは従来のジャンルとは全く違う、ディスコサウンドへと脱皮。ディスコナンバーを中心とするアルバムを発売し、ヒットを飛ばします。

さらに1977年に公開された映画『サタデー・ナイト・フィーバー』で彼らの曲が大きく取り入れられると、ビー・ジーズは『スティン・アライブ』『ナイト・フィーバー』などのヒット曲を連発。ディスコブームの到来によって、世界中のディスコで彼らの曲がかけられ、第二の黄金期を迎えます。

ただ、ビー・ジーズがディスコナンバーを手がけたのは、ディスコが流行していたからではなく、彼ら自身が、音楽そのものに常に好奇心旺盛だったからに他なりません。独自のファルセット唱法を取り入れ、常に新しい音楽に取り組んだ結果が、ディスコ時代のヒットへとつながったのです。だからこそ、一度は陰りが見えた人気は80年代の終わりにも復活し、三度、『ユー・ウィン・アゲイン』『One』などのヒットに恵まれるようになりました。

2003年にモーリスが急逝し、2012年にロビンが亡くなるとグループ活動は継続できなくなりました。しかし、いまでも長男バリー・ギブはソロアーティストとして、音楽の力を信じ、先に天国へ旅立った弟たちと観客に向けて、ビー・ジーズのナンバーを歌い続けているのです。

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