#220「環境保護に人々の目を向けさせた生物学者」レイチェル・カーソン

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝220話

レイチェル・カーソン(1907〜1963)
アメリカの生物学者

1960年代。世の中はまだまだ環境保護に目を向けていませんでした。経済成長が最優先で、生産性の高さがなによりも評価される時代だったのです。農業においても、害虫を駆除して生産性を高める農薬の開発は急務とされていました。実際、世界各地で農薬が使われ、より強い効果が期待されるものを次々と開発。食品添加物と違い、素材に対する薬品の散布などは厳しい規制がありませんでした。

そこに警鐘を鳴らしたのがレイチェル・カーソンでした。彼女はアメリカ内務省の魚類野生生物局に勤める水産生物学者として、自然科学を研究していました。しかし、レイチェルはただ生物学に長けた人物ではありませんでした。実は子どもの頃から文章を書くのが大好きで、小説家になりたいと熱望していたのです。そんなレイチェルですから、生物学者として知識と情報を身につけると、それを文章にしてアウトプットすることがとても上手でした。

そんな彼女が初めての本を出版したのは34歳の時。『潮風の下で』というタイトルでした。その後、出版した『われらをめぐる海』が33ヵ国語に翻訳されるベストセラーとなります。そして、1962年に『沈黙の春』がアメリカで出版されるとわずか半年で50万部を売り上げる大ベストセラーになりました。

『沈黙の春』は農薬や殺虫剤などの科学物質の危険性を訴えた作品で、多くの人たちに環境汚染の恐ろしさをしっかりと伝え、後の『アースデイ』や国連人間環境会議のきっかけとなりました。もちろん、現在のSDGsにも受け継がれています。『沈黙の春』が出版された時、世論は賛否で真っ二つに分かれました。経済優先の企業からは、個人的に強いバッシングも受けたのです。しかし、死の病を押してもこの本を書き続けたレイチェルに迷いはありませんでした。その執念が実り、ケネディ大統領がこの本を支持。DDTの使用は全面禁止に追い込まれ、環境保護の輪が世界中に広がりました。

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