#222「わずか1年半で傑作小説を世に送り出した人」樋口一葉

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝222話

樋口一葉(1872〜1896)
日本の小説家

樋口一葉(本名・樋口奈津)は1872年、東京に生まれました。小学校の頃から手毬や羽根つきなどの遊びに興味を示さない子どもだったようです。その代わり、読書を好み、大作『南総里見八犬伝』をたった3日で読み終えたと言われています。成績も良く、高等科第四級を首席で卒業しましたが、上のクラスには進まずに退学したそうです。まだまだ、女性に学問は不要だと言われていた時代。家族のために働くことが一葉にも求められました。

しかし、父は学びたいという娘のために知人に頼み込んで和歌を習わせたりしたそうです。その甲斐あって、一葉は「萩の舎」に入門しました。「萩の舎」は和歌の他、書も学ぶことができたそうです。一葉はここで才能を発揮。しかし、家庭の貧しさなどから、内向的になり、同じ頃、兄が亡くなり、数年後には金をだまし取られた父が多額の負債を残して死去。一葉はたった17歳という若さで、樋口家の暮らしを背負う大黒柱となってしまったのです。・

婚約者も一葉のもとを去り、生活は困窮の一途を辿ります。しかし、その困難を一葉は文才で乗り切ろうとします。「萩の舎」で共に学んだ女性が小説を書いて多額の原稿料を得たことを知った一葉は小説を書き始めたのです。そして、様々な醜聞にも負けず、小説を書き続けました。しかし、生活は一向に楽にならず、吉原遊郭の近くに雑貨店を開きます。この時の経験がのちの『たけくらべ』へとつながります。

代表作と言われる『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』が発表された期間を後の研究家は「奇跡の14ヵ月」と呼んでいます。実際、この期間に書かれた小説はどれも輝きを放ちいまも色あせることはありません。森鴎外、幸田露伴らが一葉を高く評価しました。その絶賛の声に送り出されるように、一葉は1896年に24歳と6ヵ月で亡くなりました。森鴎外は正装で葬儀に参列したいと打診しましたが、他人に来てもらうだけの葬儀ができないと丁重に断られたそうです。

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