世界を動かした非常識人列伝223話
遠藤謹助(1836〜1893)
明治時代の官僚・長州ファイブの一人
幕末から明治の時代は、長い鎖国の期間に立ち後れた日本の産業を近代化させるための時代であったと言っても過言ではありません。様々な動きがありましたが、その中でも幕末の長州藩から5人の若者が密出国してイギリスに学んだという出来事は、彼らの勇気をたたえ長州ファイブとして伝えられています。
伊藤博文や井上馨らとともにイギリスに渡った若者の一人が遠藤謹助でした。遠藤はもともと武士でしたが、イギリスで技術を持つことの意義を思い知りました。高い技術力を日本に持ち帰り、それを多くの若者たちに伝えることで日本を繁栄させ、そこに住む人々を幸せにしようと考えたのです。
その志の通り、遠藤は日本に帰国してから大阪の造幣局に勤めました。造幣局の設立も実質、遠藤が中心となって実現したものでした。大阪の造幣局がある一帯は桜ノ宮という地名があるほど桜の名所でした。その中でも造幣局の敷地の中には数々の桜が咲き乱れ、毎年、局員たちはその開花を楽しみにしていたそうです。
これを一般の市民にも開放しようと呼びかけたのは遠藤でした。1883年(明治16年)、当時、局長だった遠藤は局員だけで楽しむにはもったいない、と英断を下したのです。以来、大阪桜ノ宮の造幣局の通り抜けは、大阪の春の風物詩として受け継がれています。みなさんも機会があれば、ぜひ、見事な桜並木の下を歩いてみてください。そして、遠藤がイギリスから持ち帰った近代産業の発芽の地の風も一緒に感じてください。