#231「どケチ教の教祖を名乗った男」吉本春彦

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝231話

吉本春彦(1923〜2017)
日本の実業家

よくお笑いの吉本興業の創業者と間違えられるのですが、それは別人。吉本春彦は大阪の実業家です。丸いビルで有名だったマルビルの会長でもありました。

もともと大阪梅田の大地主の家に生まれた吉本春彦は、祖父である彦太郎に「どケチ道」を仕込まれたと言います。しかし、関西で言う「ケチ」とは、ただお金を使わないという悪口ではありません。無駄なお金は使わないけれど、生きたお金なら惜しまずに使う。それが吉本春彦が言うところの「どケチ道」だったのです。

1970年には自らの半生を書き綴った『どケチ人生』がベストセラーとなりました。そして、1973年には「大日本どケチ教」を設立しました。当時、大阪ではケチで有名な実業家が他にもちらほら。サントリーの副会長であった鳥井道夫、森下仁丹社長だった森下泰と共に、「大阪の三ケチ」と呼ばれていたそうです。この三人が顔を合わせてタクシーに乗るときには、競って助手席に乗ろうと先を争ったと言います。そう、一番先に素早く車を降りれる助手席に乗れば、タクシー代を払わずに済むからです。

この話も、タクシー代が惜しいということではありません。三人の地位も名誉もある実業家が、いたずらっ子のように助手席に駆け込む様子を思い浮かべると、なんだかとても楽しい気持ちになりますよね。商売がビジネスと呼ばれ、ギスギスした緊張感に包まれている現代から見ると、とてもうらやましいエピソードです。

そう言えば、「大日本どケチ教」の教祖を名乗っていた吉本ですが、一度、本気で宗教法人にしようと考えたことがあったそうです。役所に申請したのですが、「ご神体は?」と聞かれて「おごりたかぶらない心や!」と大真面目に答えたところ、笑われてお終いだったそうです。

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