#235「建築界の哲人と呼ばれた男」白井晟一

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝235話

白井晟一(1905〜−983)
昭和期の建築家

白井晟一は京都の商家に生まれ育ちました。しかし、12歳のときに父を亡くしてしまいます。そこで、画家・近藤浩一路のもとに嫁いでいた姉の元に身を寄せたのです。画家である義兄との出会いは、白井にとって大きな転機となり後々近藤は白井に自宅の設計を任せたり、知り合いを紹介するなど大きな後ろ盾となりました。

のちに白井はドイツに留学し、さらにパリで作家・林芙美子と恋愛関係になったりしながら、建築の知識とともに時代の空気を吸収し1950年頃から様々な建築を手がけるようになりました。しかし、西洋と日本の建築を両方知っていた白井の設計は独創性あふれるもので、熱烈な支持者を生み出したそうです。ただ、支持はされてもなかなか大きな仕事を手がけることはできませんでした。

しかし、旧親和銀行本店や渋谷区立松濤美術館など一際目を引く作品群を世の中に送り出していくようになります。ただ、その設計にこだわり抜く白井のことですから、施主との間に軋轢を生むことも多かったようです。

例えば、今も港区にあるオフィスビルの「ノアビル」。黒い円筒形の塔のようなビルが周囲に存在感をアピールしているのですが、このビルのオーナーとも事件が起こります。完成したビルを見たオーナーが「建物の中が暗い」という理由で大きな窓を勝手に作ってしまったのです。烈火の如く激怒した白井。大喧嘩になったそうです。

なかなか気難しい人のようですが、ただ気難しいだけでは多くの建築を残すことはできません。一見、奇妙に見えたり、住みにくく見える建物が、いまも愛されているのは白井なりの哲学があったからです。彼は生前「すぐに馴染めるとは思わない。むしろ、すぐに馴染まれては困る。10年20年経って生活に根を下ろせば、心の休まるものになってくれるんじゃないか」と語っています。

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