世界を動かした非常識人列伝237話
近衛秀麿(1898〜1973)
日本の指揮者、作曲家、元貴族院議員
近衛秀麿は日本のオーケストラのパイオニアとして知られています。公爵であり近衛篤麿の次男として1898年に生まれました。もともと近衛家は皇室内で雅楽を統括する家柄でもあり、そのせいか秀麿も幼い頃から音楽に興味を持っていたようです。ヴァイオリンを習い、1915年からは山田耕筰に作曲を指示するようになりました。この頃から東京音楽学校にあった交響曲を次々と写し、オーケストラに興味を持ち始めたようです。
その後、ヨーロッパに渡り、名だたる指揮者や作曲家に学ぶと、1925年には山田耕筰と共に日本交響楽協会を設立。それが現在のNHK交響楽団へと受け継がれています。秀麿自身は作曲・編曲にも才能を発揮し、多くの演奏会で指揮を担当しました。
しかし、近衛秀麿の功績は音楽にとどまりません。1937年以降、ドイツで活動していた秀麿。しかし、彼はナチスのプロパガンダを嫌っていたため、ドイツ国内での活動を禁じられてしまいます。ただ、ナチス幹部にも秀麿に敬意を持っている者もいて、彼はその関係を活かしてポーランドやフランスの音楽家の支援をおこなったのです。
フランスでは自らのオーケストラを組織することで、多くの音楽家を強制労働から救い、約50名のユダヤ人の国外脱出にも協力したと言われています。音楽を愛し、人を愛した秀麿は、自らの夢の実現と、高貴な家柄に生まれた義務を同時に果たした人物だと言えるでしょう。