#238「植物学の道を開きながら夢を果たせなかった男」矢田部良吉

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝238話

矢田部良吉(1851〜1899)
明治時代の日本の植物学者・理学博士

矢田部良吉は明治時代の植物学者。東京大学理学部の初代教授を務めました。牧野富太郎をモデルにしたNHKのドラマにも矢田部をモデルとした人物が登場しましたが、ドラマの人物と同様になかなかクセの強い人物だったようです。

矢田部は全国各地の植物を採集し、東京大学の植物標本の基礎を築いたと言われています。牧野富太郎も、矢田部がいなければあの偉業を成し遂げられなかったかもしれません。それだけ矢田部には人を見る目があったと言われています。牧野富太郎は学歴も留学経験もない植物学者でしたが、そんな牧野を矢田部は可愛がりました。そして、牧野の力を認め、共に植物図鑑を編纂したりもしたのです。

ただ、牧野があまりに大学の権威を認めない態度を取ると激怒。牧野を東大から追放してしまいます。また、牧野以外にも相手が気に入らないと強烈な罵倒を浴びせたりするなど、激しい性格の持ち主として知られていたようです。

そんな性格のせいか、敵も多く、やがて自分自身も東京大学を追われてることになってしまいます。しかし、矢田部の功績は大きく、植物学を究めるために自ら足を運んで植物を採集したり、欧米の学者に頼らずに植物を鑑定するなど、日本独自の研究を押し進めました。そこには、良質な教育を実践するためには教員自身が専門分野の研究を行うべきだという信念があったのです。

大学から閉め出され、植物学の道を閉ざされた矢田部。その後、彼は高等師範学校の英語教師として教育に取り組みました。4年後には校長も務めましたが、1899年、鎌倉の由比ヶ浜で遊泳中に溺死。49歳の若さでこの世を去りました。

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