#241「インディペンデント映画に生きた男」ジョン・カサヴェテス

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝241話

ジョン・カサヴェテス(1929〜1989)
アメリカの映画監督・俳優

映画人ジョン・カサヴェテスのキャリアは映画俳優からスタートしました。1954年にドン・シーゲル監督の『暴力の季節』に出演。そこで注目を集め数多くのハリウッド映画に出演するようになります。『ローズマリーの赤ちゃん』『明日よさらば』などで評価を高め、『特攻大作戦』ではアカデミー賞助演男優賞にノミネートされるまでになりました。

しかし、ジョン・カサヴェテスは俳優だけにとどまる人ではありませんでした。彼は映画に出演し始めると同時に、友人たちと演劇のワークショップを開設。即興演技、即興演出を実験的に行いながら処女作『アメリカの影』を監督として完成させたのです。その後も自宅を抵当に入れながら『フェイシズ』を制作。俳優として稼いだお金をすべて注ぎ込み、このインディペンデント映画を完成させました。『フェイシズ』はヴェネツィア国際映画祭で男優賞をとり、アカデミー賞でも3部門でノミネートされました。

インディペンデント映画がアカデミー賞にまで食い込んだことで、カサヴェテスはさらに映画制作を加速させます。1974年には妻のジーナ・ローランズを主演に『こわれゆく女』を完成。カサヴェテスが監督賞、妻が主演女優賞と二人揃ってアカデミー賞にノミネートされました。1975年には『オープニング・ナイト』がベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞。1980年には商業映画としても大ヒットした『グロリア』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、1984年には『ラブ・ストリームス』でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞するなど快進撃を続けました。

自分の好きな映画を作るために、私財を投げ打ち、家を抵当にまで入れたカサヴェテス。彼の作品はいまも世界中で愛されています。また、影響を受けた日本の濱口竜介やカサヴェテスの子どもたちも映画を作り続け、カサヴェテスが作ろうとした、誰からも自由な映画への道を歩き続けているのです。

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