#243「ブギの女王と呼ばれた歌手」笠置シヅ子

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝243話

笠置シヅ子(1914〜1985)
日本の歌手・女優

朝の連ドラの主人公にもなり再び注目されている笠置シヅ子。子どもの頃から歌と踊りが大好きでした。小学校を卒業すると宝塚音楽歌劇学校を受験。歌も踊りも申し分なかったのですが、背が少し低く極端に痩せていたことから不合格となってしまいました。しかし、それでもめげなかったシズ子は松竹歌劇団の養成所を受験し見事合格。松竹歌劇団の団員として頭角を表します。そこで出会った服部良一と共にコンビを組みジャズ歌手として人気を博すようになりました。

しかし、日中戦争以降の軍国主義的な時代背景の中で、ジャズは「贅沢は敵だ」というスローガンに反するものとして国家権力から睨まれるようになったのです。そんな辛い状況の中でも客を喜ばせたい、笑顔にしたいというシズ子は、必死で歌い踊り続けました。やがて、戦争が終わると、シズ子のバイタリティあふれる歌と踊りは大人気となり、『大阪ブギ』『買い物ブギ』などのブギものをヒットさせ、ブギの女王と呼ばれるようになりました。

大スターとなったシズ子ですが、彼女は決して驕りたかぶることはありませんでした。ある日、街娼たちから「シーちゃん、頑張れ!」と声援を受けたシズ子。「たくさんのお客さんが舞台を見にきてくれますが、そのお金がみんな血の出るような貴いものなので泣けてしょうがおまへん」と感激したそうです。そして、声援をくれた街娼たちにその場で構成施設への慰問公演を約束したといいます。

敗戦によって落ち込んだ日本人の気持ちをシズ子は迫力のある明るい歌と踊りで元気づけました。しかし、何事にも浮き沈みはあります。人気を誇ったブギも1950年代の終わりには下火になりました。シズ子は「お客さんを満足させられないなら」と女優に転身しました。その際、スターであった自分のギャラのままだと使ってもらえないだろうと、自らテレビ局や映画会社を周り、出演料のランクを下げるように申し出たそうです。

役者としても人気を誇ったシヅ子、映画やテレビ、CMにも引っ張りだこになりました。しかし、歌手として引退してからは一切歌は歌わず、鼻歌さえも歌わなかったと遺族は証言しています。

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