#249「「千年の釘」を造り続けた鍛冶職人」白鷹幸伯

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝249話

白鷹幸伯(1935〜2017)
土佐鍛冶の流れをつぐ鍛冶職人

白鷹は愛媛県松山市に生まれました。まだ幼かった9歳の頃から父の鍛冶を手伝い始め、農具や荷馬車などに使われる輪鉄、木造建築金具などの製法を身につけたそうです。高校を卒業してからは、土佐鍛冶の職人であった兄から山林用刃物や鎌、包丁などの作り方を伝授されました。愛媛で10年ほど修行しましたが、鍛冶屋が嫌でたまらずに逃げるように白鷹は東京へ。そして、1971年、法隆寺の宮大工・西岡常一と運命的な出会いを果たします。

当時、西岡は白鳳期建造物を復元するために、千年という長期の使用に耐える釘を探していました。白鷹はこの「千年の釘」を鍛造するために、自分のもてる技術をつぎ込みました。錆に強く驚異的な耐久性をもった「千年の釘」は奈良県の薬師寺の西塔や大講堂の復元にも使われ、日本の文化財保護に大きく貢献。さらに、郷里の松山に帰ってからも、白鷹はより良い「千年の釘」を生涯作り続けました。

テレビのドキュメンタリー番組のなかで、白鷹の妻は彼の職人としてのすごさを認めながらも、お金儲けの下手さを嘆いて見せました。もともと高名な刃物職人だったのに、「千年の釘」に魅せられてからは、それほど高額の価格設定ができない「千年の釘」造りに夢中になってしまったからです。近所の主婦たちから包丁研ぎを頼まれても、気安く無料で引き受けてしまう白鷹に、「もうちょっと包丁を作ってくれれば暮らしが楽になるんだけど」と文句を言いながらも笑顔を見せる妻。そんな家族の理解があってこそ、白鷹は亡くなるまでの間、「千年の釘」を作り続けることができたのかもしれません。

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