#260「自由学園と主婦の友社を作った女性」羽仁もと子

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝260話

羽仁もと子(1873〜1957)
日本のジャーナリスト、教育者

羽仁もと子は青森県八戸市に生まれました。女学校時代から雑誌の校正などを手伝い、雑誌作りを学びました。卒業してからしばらく教員をしていましたが、1897年に報知新聞に入社。校正係として働きながら、チャンスがあれば自主的に原稿を書くことで認められ、取材記者になったのです。「はじめての女性新聞記者」と自らの自伝に記述しています。

1901年に羽仁吉一と結婚、1903年には現在の『主婦の友』に原型である『家庭之友』という雑誌を発刊。後に『主婦之友』と改題し、出版社を起こしました。この雑誌の付録として生まれたのが家計簿でした。主婦が日々の金銭勘定をできるだけ楽に出来るようにと生まれた付録でしたが、やがてそれは主婦の生活に根ざし、なくてはならないものになっていきました。1914年には『子供之友』も出版。この雑誌はやがて廃刊されましたが、誌名は譲渡されて『こどものとも』として刊行が続きました。

羽仁もと子は夫である吉一とともに、1921年に自由学園を創立しました。旧目白、現在の西池袋に作られた自由学園はフランク・ロイド・ライトが設計したファミリースクール。生徒の多くが学園内の寮で生活し、キャンパスの維持管理のすべてを生徒たちが行う「自労自治」の精神で運営され、生徒による稲作や酪農なども行われた、画期的な学校でした。

この学校を作ったきっかけは、ある日、小学校から帰ってきた長女の一言でした。小数点を習ったという長女が、小数点は打つ場所さえ間違わなければいいのだから簡単だ、と話したのです。それを聞いた羽仁夫妻は、機械的な詰め込み教育に危機感を覚え、真の人間力を育て上げる学校を作ろうと決意したのです。

疑問を感じたら、それをそのままにはしておかない。必要だと思ったら、自分で作ってしまう。そんな羽仁もと子の常識では考えられないような行動力が主婦の友社や自由学園を生み出し、それがいまも続いているのです。

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