#261 「北海道開拓の初期を支えた男」松本十郎

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝261話

松本十郎(1839〜1916)
明治初期に活躍した官僚

松本十郎は1839年に山形で生まれました。藩士の子として文武に優れ、父とともに北海道に赴いたり、江戸をまわって見識を深めたそうです。侠気のある性格で、藩内で頭角を現し、庄内藩のために奔走したという記録があります。

明治2年、十郎は黒田清隆の推薦によって、北海道開拓判官に任命されました。派遣されたのは北海道の根室。当時、まだ根室はまったく未開の地でした。しかし、海産物が豊富であったことから、漁業を中心とした事業計画が立てられました。このとき十郎は官費を極力おさえ、漁民の増加と漁獲を高めるための工夫をこらしました。例えば、他の地域で行われていた官僚による作物の買い上げをせず、地元の漁民に直接やらせたことで、よい成績を収めたり、行政の執行を実行したり、並々ならぬ政治力を発揮したと言われています。

その手腕が買われて明治6年には開拓大判官となり、北海道すべての責任者に推挙されました。前任者が残した赤字を取り返すために、十郎は事業を整理、官吏の数を大幅に削減することに成功。しかも、事業を一切停滞させなかったというのですから、その能力の高さがうかがいしれます。そして、いまでも十郎が初期開拓行政の基礎を築いた名判官と呼ばれる理由です。

十郎はアイヌ織の羽織であるアツシ姿で官舎に出向くと、馬を操って管内を視察して回るのが日課でした。そんな十郎を住民たちはアツシ判官と親しみを込めて呼んだそうです。しかし、そんな十郎も上司である黒田のやり方には腹を据えかねていたようで、その政策の行き違いに怒った十郎は故郷の鶴岡に戻ってしまいました。郷里に帰ってからの十郎は一人土地を耕しながら、農夫として暮らしました。政治には一切口出しをせず、酒を愛し、友と語り、そして、コツコツと北海道開拓史を含む、自らの人生を克明に書き記しました。その記録は140巻あまりに上る「空語集」としてまとめられ、貴重な資料として残っています。

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