世界を動かした非常識人列伝262話
リチャード・ファインマン(1918〜1988)
アメリカの物理学者
リチャード・ファインマンの功績は膨大な数に上ります。キャリアのスタート時期には原子爆弾の開発に参加し、1965年には量子力学上の重要な発見をし、後にノーベル賞を受賞しました。また、1986年には事故を起こしたスペースシャトル「チャレンジャー号」の調査で重要な役割を果たし、カリフォルニア工科大学で人気のある教授になりました。
ファインマンが人気の教授になったのは、彼の物事への取り組み方に要因がありました。彼は学ぶことに常に楽しさとユーモアを取り入れたのです。もともと彼は打楽器であるボンゴを愛し、常に演奏していました。また、スケッチも得意だったそうです。そんな芸術肌のファインマンだからこそ、ただ教科書を丸覚えさせるような教え方は我慢ならなかったのでしょう。どうすれば学生たちが楽しみながら学べるのか。常にファインマンは考え続けていたそうです。
ある日、ファインマンが自宅でパーティーを開き、そこでボンゴ演奏を披露していました。すると、風変わりな男が乱入してきて、ファインマンに芸術論をふっかけてきました。二人は意気投合し、互いが得意な化学の話や芸術の話で議論を戦わせました。しかし、最後にはわかり合えなくなるということを繰り返していたそうです。ある日、ファインマンは「意見が衝突するのは互いの得意分野に対する知識が足りないからだ」と言いだし、ファインマンはその男に物理を教え、自分はその男から芸術を学ぶことにしたのです。これは、教えるものは学生からも学ぶべきだというファインマンの資質を如実に表すエピソードと言えるでしょう。
ファインマンがそんな人物になったのは、父・メルビンの存在が大きかったと言われています。メルビンは息子が小さかったころ、「あの鳥の名前は?」と聞かれると、でたらめに適当な名前を教えていたそうです。そして、「それよりも、今目の前であの鳥が何をしているのかを観察してみなさい。大切なのはそこだよ」と付け加えました。名前を知っていることと、その本質を知っていることとは違う。父は息子にそのことを伝えたかったのでしょう。そして、息子・ファインマンは父の教えを継ぎ、好奇心に満ち溢れたちょっと風変わりな優れた物理学者へと成長したのです。